01 août 2017

7月16日~31日 キボコ君 Kiboko ou Hippopotame

le dimanche 16 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

昨日午後からネットが不通。契約した12Mbを使い果たしたのだろうか。7月5日にはまだ10Mbあったのに。videoは殆どDLもULもしていない。携帯ではアプリを勝手に更新してくれる。でもそれだけでバイトを消費するのかなぁ。

カスンバレサの物件のギャランティーを払ってくれとせがんでくる。1000ドルだ。自助努力をしてほしい。明日までに払わないと、押さえられないというのだ。場所はよさそうだ。だが、レストラン経営の体制が出来ていない。ルブンバシのテキサコの賃貸契約を切れば今のところ1200ドル返金になるが、契約条件がはっきりしていない。

四駆三菱L200を売りに出しているが、運転手ルディさんが見つけてきたポテンシャルな買い手、フランス人、南ア人がなかなか決めないので、ルブンバシに車を移動して売却宣伝をすることにした。一時、僕の免許を更新したので他の書類をそろえて僕自身が運転してルブンバシにもっていこうとしたが、それには保険をいれて500ドル近くかかる。そこでルディさんが警察のいない日曜日にルブンバシまで車を持っていくことになった。1万ドルで売りたいがどうなるか。6000ドルまで値下げを検討した。クリスチャンのいた職業訓練マペンド校のメカの先生ンバングさんに修理してもらったので車は完全に修理された。また僕がルブンバシに通うのに使うこともできる。しかし、交通警官のいやがらせ、賄賂請求に嫌気がさしている。運転は好きだがもうRDCコンゴではしたくない。バスでルブンバシに行けば1000フラン(これまで100円としてきたが、フランの暴落で、現行レートでは72円)しかかからない。L200の燃料費よりも遥かに安い。それにバスの方が楽なのだ。
11時20分、車はルディさんが運転してルブンバシに向かった。

le lundi 17 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

まだまだ寒いなぁ。ここは地図上は熱帯、でも南半球だから今が冬と云ってもいい。9月になれば朝が室内で22℃になろう。それまで寒い。

帰りのバスが値上がっていた。1000フランから1500フラン。毎日のようにフランが値下がりしており、今日は1ドルが1580フラン(スーパー「ジャンボ」の例)。去年1月の1ドル900フランからみるとかなりのフラン下落だ。バス料金はこの間上がっていないのだから致し方なかろう。バイクタクシーも明日から500から1000フランになるそうだ。
一時のジンバブウェほどではないにしても、狂乱物価時代が来るかもしれない。

le mardi 18 juillet 2017
5時50分、快晴、18℃、40%。月はほぼ頭上にみえた。下弦の月かそれに近い。

キプシのバイクタクシー料金は500フランで据え置きだった。ルブンバシの乗り合いタクシーも市内500フランで変わりなし。ガソリン代は1600フランで200フラン上がった。
ルブンバシのスーパー「プサロPsaro」のレートは対ドル1650フランとフランが先週よりもまた大幅に下がっていた。

猫ちゃんのビスケットがどのスーパーでも払底していて入荷は月末になろうという。買い置きがなくなってきた。困ったなぁ。

le mercredi 19 juillet 2017
5時半、快晴、18℃、47.5%。

le jeudi 20 juillet 2017
5時半、快晴、18℃、55%。

le vendredi 21 juillet 2017
5時半、快晴、18℃、52.5%。

6時10分、「予定通り」停電。20時、きっかり回復。
これは凄い。今月3日、12日に続いて9日目である今日21日「予定通り」停電したのである。キプシの電力会社Snelの計画停電だ。これができるということはSnelが各地区の電力消費量を計算し、地区ごとに電力を切断できるということだ。最近代わったキプシSnelの支店長は元技術部長のムトンボさんである。彼が計画停電を編み出したに違いない。それまでは消費量オーバーでトランスが切れたら応急修理するという付け焼刃だったわけだ。勿論トランスを容量の大きいものに取り換えれば一番いい。それには金がかかる。何時になるか分からないが、大容量トランスにできるまで定期停電をするのだろう。しかし、定期的に、計画的に停電させるとは進歩である。ルブンバシでは不定期に毎日のように停電する。ルブンバシは大都会だが、キプシのように地区ごとに持ち回りで停電させるようにすれば、消費者は前もって停電に備えることができるようになる。
僕は今朝5時半に起きて、お湯を沸かしコーヒーをいれた。パンもトーストしてしまい、6時の停電を待った。20時に回復と分かっているから不安がない。
次の停電は30日(日)。こういうことが、電力会社から各家庭にアナウンスされるようになるともっといい。


le samedi 22 juillet 2017
5時半、快晴、18℃、52.5%。

コンゴ人は地下資源が豊富なことを誇りにしている。コンゴは世界一リッチなのだという。そして、にも拘わらず国民の生活が貧しいのは外国企業の所為だと信じて疑わない。
国営鉱山会社Gecaminesは採掘権を外国企業に売り渡し、採掘を任せて株主として配当を受ける会社になってしまった。
それも経営としては悪くないかもしれない。しかし腐敗構造で借金だらけの会社になった。
政治が悪いというのは簡単だ。記事ではカビラ大統領叩きをしている。グルンバーグの記事も引用している。任期切れで居座っている大統領を叩くのも簡単だ。
だが、国民主権の国である。野党も口先ばかり。影の最大野党はカトリック教会。2016年12月末の与野党合意は教会の努力だった。それから半年、政権から教会は無視されている。今一歩、教会が国民をまとめることはできないのか。政教分離の建前はあくまで建前ではないか。国民の責任、まさに自己責任を全うできるのは教会しかないと僕は思う。

Facebook のコメント(上記)が一旦消されたが、また現れた。

le dimanche 23 juillet 2017
6時、快晴、19℃、47.5%。

le lundi 24  juillet
6時、快晴、19℃、57.5%。

le mardi 25 juillet 2017
6時、快晴、19℃、55%。

20時、停電。意外と長い。回復を待ちながら21時に寝てしまった。24時に目が覚めた時には回復していた。


le mercredi 26 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

ルブンバシのどのスーパーにも猫ちゃん用のビスケットが売り切れで棚においていない。仕方ないのでワンちゃん用のビスケットを買った。チーコちゃんたちにあげてみると、ごく普通に食べてしまった。ビスケットの大きさが犬用と猫用ではちがう。しかい、小型犬用なら猫ちゃんも無理なく食べられるようだ。

le jeudi 27 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

今月冒頭に書いたジョザファット君、とても背が高い。188cm。マスクも悪くない。明日、ルブンバシのカラビア・ホテルでファッションショーがあるが、そこでモデルとして出演することになった。おめでとう。多少出演料も出るようだ。入場料が25ドルもするので僕は見に行けないが。
キボコ君
アフリカ的ファッションではある
ルブンバシではモデルの仕事は殆どない
いつか国際的モデルになりたいのかなぁ
ジョザファット君の苗字は「キボコ」、スワヒリ語では「hippopotame、カバ(河馬)」という意味だ。出身地のキンシャサの言語リンガラでは特に意味はない。彼の体形は、しかし、カバには程遠いスポーツマン・タイプ。お姉さんの写真をみたけれど、彼女も優形である。

午後Canal+で映画『Madame Doubtfire』を観ていたら、あと15分というところで映画が切れた。他局は見えたのだから、92局Cinema Emotionだけが問題のようだ。

le vendredi 28 juillet 2017
6時、快晴、18℃、45%。

僕の三菱四駆がなかなか売れない。8000ドルで売れればと思っている。バスでルブンバシに行くのは楽でいいのだが、警察官の嫌がらせもないし、疲れない。しかし、ちょっと寂しい。そこで考えたのがバイクである。
ルブンバシのヤマハに行ってみた。
1100ドルで125ccが買える。2000年から2005年末で東京にいたとき、バイクに数年乗った。カブの中古を買ったのだ。125ccならもう少しスピードがでる。ここのポリスなら巻いてしまうこともできそうだ。250ccだと4000ドルくらいする。バイクに慣れるまで125で十分だろう。バイクはしかし危ない。雨の日も11月になればある。
でも、急にバイクに乗ってみたくなった。
市井三郎という哲学者がいた。ラッセルの『西洋哲学史』を訳した方だ。市井さんがバイクに熱中したのは60歳を過ぎた晩年だったと思う。
僕は日本でバイクに乗って交通事故は起こしていない。信号無視で10万円の罰金を食らったことはある。オレンジに信号がかわってから交差点を渡ったのだが許してくれなかった。バイクのヘルメット探しをしなければ。どこで売っているかなぁ。
フランス映画『Motorcyclette』はカッコよかった。調べてみると英仏合作映画。1968年制作だ。何回かTVで見た気がする。あれはハーレー・ダビッドソンだとWikiに出ていた。いつかハーレー・ダビッドソンに乗ってみたい。でも中古でも買えそうもない。ルブンバシでは見たこともない。
キプシではバイクタクシーによく乗る。100ccのインド製「ボクサー」が多い。以前は中国製が多かったように思うが、「ボクサー」が今は主流になっている。

le samedi 29 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

昨夜のFrance3(TV)でカルパンティエ夫妻が1960年代から90年代にかけて創作担当したバラエティー番組の思い出が放映された。当時のスターたちが勢揃いだった。今日のTF1が民営化される前の番組で、フランスのテレビが大衆化が始まったといっていい時代である。
僕が初めてパリに行ったころ(1972年)、家庭のテレビ受像機には扉がついていた。番組を見るときだけ扉をあけてスイッチをいれていたのである。チャンネルも数局しかなかった。大学都市の寮(モナコ館)の部屋にTVはなかった。あったのは半地下にあったスナックバーだけだった。
第一回アルジェリア時代(1973年から9年間)の最後に小さな受像機をフランスで買った。地中海を隔ててアルジェリアの向かいはフランス。フランスのTV番組を見ることができたが画質が良くなかったので殆ど見ていない。テレビを見始めたのはスイスに住むようになってから(1982年から15年間)で、ソニーのモニターTVを手に入れた。大好きだった番組は毎週木曜日の『特派員レポートEnvoyé spécial』(フランス)とスイスロマンドTVでは月曜日夜の映画だった。
昨夜はそんな僕でも知っているスターが出てきた。「ジジ アモローゾ」のダリダ、若いシャルル・アズナブール、ジルベール・ベコー、ジョルジュ。ブラッサンス、バルバラ、ぺトラ・クラーク、ジョー・ダッサン、クロード・フランソワ、ミレイユ・マティユ、シルビー・バルタン、物まねのティエリー・ル=ルリュロン、デパルディユ、サルドー等々、アラン・ドロンまで出てきた。思い出に耽るのは僕の趣味ではないが懐かしい人々に違いなかった。

le dimanche 30 juillet 2017
5時半、快晴、18℃、50%。

6時に停電になる予定だった。ところが、3時に目が覚めた時、既に停電していた。回復したのは20時。5時半に目覚ましを設定して、起きたらすぐにコーヒーを入れる筈だったが裏切られた。ま、予定通りいかないのがこの国とはいえままならぬ。


le lundi 31 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

18時半に帰宅したら停電中だった。昨日が「定期」の停電だったのではないか。20時になっても回復せず、結局21時まで停電が続いた。地区ごとの持ち回り停電ではなく、そういえばバス停から家までの通りの灯が消えていた。また送電線が盗まれたのか。

上弦の月。

アマゾンで注文し、東京からの出張者の方K氏に託送した携帯のガラス保護シートが届いた。休み明けの2日に修理しよう。ルブンバシではこのシートが払底していて修理ができなかった。仲介をしていただいたNさま、ありがとうございます。

同時に注文した携帯電話ケースは、サイズが違っていた。アマゾンがいい加減なのか、アマゾンのサプライヤーがいい加減なのか、返却しなければならない。交換することができるだろうか。トライしてみる。

7月1日~15日 哲学の先生 #Philo

Le samedi 1er juillet 2017
6時、快晴、19℃、55%。

ザンビアのチンゴラ市の綴りはChingolaで「Chi」を「チ」と発音している。RDCコンゴはフランス語圏なのでChiではシと発音してしまうのでチは「Tshi」と書く。
ザンビアで話されている言葉はベンバ、ニンジャ等多言語だが英語が公用語となっている。アルファベット表記の発音は英語的だ。ザンビア、コンゴとも植民地時代の宗主国が人名や土地名などの固有名詞の表記を決めた。

ザンビアにはキンシャサの友人に頼まれて彼の息子ジョザファト君(21歳、Josaphatは旧約聖書に出てくるユダ王国の国王)を連れてビクトリア瀑布見物に行った。ルブンバシのISP学校(Institut Supérieur Pédagogique)に今年キンシャサ大学から転入する。僕にとってビクトリア瀑布は3回目。乾季にザンビアも入っているが、まだ瀑布全体に水が落下していた。初めてカッパを借りて飛沫(しぶき)が大粒の雨のように降り注ぐ中に入った。

瀑布のあるリビングストン市に3泊した。ルブンバシからリビングストンまでは1015kmしかないのにバスで2日かかる。ジュネーブからアリカンテまでは1日だ。ザンビアの道は日本政府の援助のお陰もあって舗装されている。しかし、高速はキトウェとンドラ間の60kmだけだ。
リビングストンの南ア系スーパー「ショップライトShoprite」でニンニクを買った。ルブンバシでは大粒のニンニクが払底していたため。ルブンバシの問題はなんでもかんでも輸入なのに流通が悪い。ときどき商品が届かず店の棚からものが消える。計画経済の社会主義体制でもないのに。
キンシャサには「Shoprite」があるが、ルブンバシには進出できていない。地元スーパーが政政治的に動いて邪魔をしているらしい。

売りに出している三菱の四駆L200の後輪が2本とも空気が抜けていたのでタイヤを外した。この作業を庭師ジョゼさんと隣の床屋理髪師エスドラスEsdras君にやってもらった。買い手候補にフランス人と南ア人がいるが話が進まない。僕は車の運転が好きだが、僕が運転すると交通警官に角々で止められてチェックを受けては賄賂を要求される。疲れるからもうこの国コンゴでは運転したくない。だから売ることにしたのだ。それにガソリン代も生活の負担になってきた。

左手の中指の付け根が痛い。甲が腫れている。どこかにぶつけた所為だろうが、何時何処でぶつけたのか記憶がない。

ルブンバシに買い物に出たら、為替が1ドル1575フランになっていた。先週RDCコンゴの中銀が公定歩合を20%に上げたばかりだというのに、金利政策が全く効を奏していないということだ。10年前のように60%以上にする必要があるのだろう。カタンガ州の景気は銅価格が今年に入ってから22%上昇しているから回復基調にある筈なのにこのフラン低下はどうしたことか。

Le dimanche 2 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

左手の甲の腫れが引いてきた。中指はまだ痛みなしには曲げられない。

ヘルムット・コールやシモーヌ・ベイユが亡くなった。盛大なセレモニーが行われている。セレモニーは生存者のためであろう。
僕はセレモニーが大嫌いだ。何時からそうなったか。大学の入学式あたりからと思う。入学式も卒業式も出席しなかった。誰の影響だろう。高校は仙台二高で圷(あくつ)校長だった。校長は右翼で僕は彼の挨拶が気に食わなかった。受験校で国立大学合格数競争しか学校の方針がなかった。僕は早く卒業して自由になることだけを望んでいた。その高校でST君との友情が生まれたのは奇跡としかいいようがない。それが第一の青春だった。高校の卒業式には出たのか出なかったのか覚えていない。出たくなかったが、出ざるを得なかったかもしれない。

こうした状況は今のスペインやフランスの高校にもあるようだ。TVでたまたま既存の価値に反抗する哲学教師の物語『#Philo』(アシュタグ フィロ)を見ていてそう思った。『#Philo』の主人公はメルリMerli先生。恵比寿の日仏で会ったフランスの哲学者オンフレイMichel Onfrayさんを思い出した。オンフレイさんも高校の教師をしていた。彼の授業はきっと型破りのメルリ先生のようだったろう。TVシリーズはスペインの作品である。
日本では哲学の授業はなく倫理に吸収されているようだ。哲学は危険な思想を教えると文科省は考えているのだろう。その通りで危険ではない哲学は哲学ではないのだ。

コールやベイユに続いて、フランスではシラクやデスタンが次の候補者だ。同じように生前の功績が称賛されるのだろう。アフリカではムガベかな。

Le lundi 3 juillet 2017
6時、快晴、18℃、52.5%。

朝携帯電話の目覚ましが鳴って起きた途端に停電になった。夕方18時に帰宅しても電気が来ていなかった。19時になって電力会社のマルタンさんに電話したら20時には回復すると云う。確かに20時、電灯がともった。計画停電だが、なぜ同じカマレンゲ通りの半分が停電になったのか理由は不明だ。

タイに出張されていたNさんからお土産をいただいた。コディバのチョコレート、芝大門更科布屋の江戸蕎麦、こしひかり、山本海苔、本目浅吉の抹茶入玄米茶。選択がずば抜けている。日本の珍味などがないのが素晴らしい。感激である。

微熱気味だったのでパラセタモール500㎎を飲んだ。即効。

Le mardi 4 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

クラウドという言葉を調べていて、これまでのMS ExcelではなくGoogle Sheetを使うことにした。MS WordもGoogle Docsを使用することにしよう。

ExcelやWordがいらなくなった。MSの株をもっていたら売るべき時がきた。Googleの株に切り替えるのがベターだろう。OSもGoogleが提供できるかもしれない。もっともMSがGoogleを買収してしまうかもしれない。


le mercredi 5 juillet 2017
5時半、快晴、18℃、52.5%。

アルジェリア独立記念日。

le jeudi 6 juillet 2017
5時半、晴れ、18℃、60%。

電力会社Snelで支払い。インヴォイス総額が150万フラン(15万円)を超えていた。勿論エラー。こんな請求書を平気で配布する。クレームしたら5月消費電力料金は24500フラン(2450円)だった。停電がキプシとしては多かった所為で3万フラン以下となった。


le vendredi 7 juillet 2017
6時、快晴、18℃4、60%。

運転免許証が一昨年12月に切れていた。それを更新した。この国では運転したくないので必要がないと思ったが、修理した三菱四駆L200が家に置いておいては売れないので、「売ります」の広告を車に張って多少運転するためだ。そのためには免許証以外に車検証、税、保険がいる。車の売却代金を上げて1万ドルから9000ドル程度にする。10万キロ走った日本の中古四駆がここでは2万5000ドルもする。僕の車はドバイで買ったもので、5万キロしか走っていない。

le samedi 8 juillet 2017
6時、快晴、18℃、60%。

GoogleのDocsでこの原稿を書き始めたが、今日は突如「エラーが発生した」というメッセージがポップアップで出てきて慌てた。Windowsを再起動したら正常に戻ったが、こういう不安定性は困る。

マーゴちゃんがいよいよ出産らしい。ベッドの上で子どもを産んでもらっては大変だ。カナリアにいたとき、チーカちゃんは僕のベッドで出産してしまった。


6月分をまとめて2つにわけてブログを更新した。僕は生来の怠けものだなぁ。

le dimanche 9 juillet 2017
6時、快晴、18℃、55%。

ムソシの子供たちのレストラン「ホープ」の会議に出た。4月の家賃$400はシスター・アスンタ佐野さんの知人I氏、ムソシに一時期いらしたこともあるI氏の寄付で賄ったが、家賃を出すだけの売り上げがもう半年以上ない。売り上げはコンゴフランで家賃は米ドルだ。フランは毎日のように安くなっている。それもあるが、経営が悪いことも確かだ。
どうするか。
アスンタさんと僕は、ルブンバシをあきらめ、家賃が安く、ムソシの子供たちが多く住むカスンバレサに引っ越すことを提案した。ルブンバシにいるムソシの子供たちは比較的恵まれた環境で経済的に困っていない家庭を持っているケースが多い。
始めた養鶏の収支はトントンだったが、継続する。ナナさんの家では300羽まで飼える。養鶏もレストランもカスンバレサでする。
ムソシの子供たちの団結もカスンバレサ地元の方がより期待できそうだ。
カスンバレサはルブンバシから南に90km、バスで2時間かかるが、ムソシに隣接している。

le lundi 10 juillet 2017
5時50分、快晴、18℃、55%。

満月が朝西の空に沈む。夕日は語られるが、月が沈む、朝日が東から昇りはじめ、月が白くなって西に沈むところが詠われることは少ないのではないか。ドラマチックではないからなのだろう。だが、夜と昼との交代、これも毎日のドラマではないか。

今朝も停電しなかった。僕の家の地区は9日ごとに停電させると電力会社の職員アドラールさんは料金を払いに行ったときに云っていたがなぁ。明日がその日かもしれない。
帰りのバスの中にジュヴェ君(15才)くらいの少年がいた。無賃乗車だった。キプシ街道の途中の銅精錬工場ソミカを過ぎたワンタンシTV曲あたりから乗ってきた。運転手は一旦キプシのケルメス市場で降りた少年にまた乗るように云い、警察に突き出す態度をみせた。運転手はソミカで降りた2人の客から2000フランを受け取っていた。だから少年の分は余分な売り上げであった。ケチな運転手だと思ったが、少年が助けてくれというので、僕が運転手に1000フラン払った。一緒に乗っていた学生らしい青年も助けてやってくれと云う。ルブンバシの物乞いの子供たちに一銭もださない僕だけど、僕の町キプシの子どものようだし助けざるを得ない。しかし、一種の「無償の行為acte gratuit」だと納得した。

ルブンバシのオルトドックス(ギリシャ正教)の修道院で念願のチーズを求めた。キロでしか売らない。豆腐大の塊が4個。3個を近くのフランシスコ会修道院のシスター・アスンタさんに分けた。このチーズはシスターと数年前に行った見本市で初めて食した。焼いて食べる。赤ワインがあるといいなぁ。

le mardi 11 juillet 2017
4時50分、快晴、18℃、50%。間違って5時に起きてしまった。

6時になっても停電していない。tant mieux ! 早朝停電を気にする「早朝停電恐怖症」じゃないか。tant pis !

Duolingoという外国語学習サイトで先週土曜日からスペイン語の復習を始めた。
なかなか良くできている。僕の場合フランス語からスペイン語を習う。日本語からだとまだ英語しか習えない。日本の方でフランス語などを習いたい場合は英語からということになろう。サイトはジョザファット君から教えてもらった。彼はここでドイツ語を習ったという。お試しあれ。

20時半、マーゴちゃんが今日一匹目を死産した。まだ他の子は出てこない。チーコちゃんが、心配してか、マーゴに付き添っている。ブラッキー君も落ち着かず、マーゴの周りをうろついている。仔猫が生まれたら里子にだすのだが、箱を用意してタオルや古着を敷いた。今夜無事に生まれるだろうか。日本で母の家から姿を消してしまったチーカはカナリアにいた時に2度出産しているが、一度は僕のベッドの上で1匹目を出産してしまった。ペルシャのチーカの子はアンゴラとのハーフだった。最初の仔猫のチャコとミケは手元に置いた。20年も前のことだから、二人とも他界しているだろう。

マーゴの健康が心配だ。

21時、入浴。夜の入浴は嫌いだが致し方ない。

le mercredi 12 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

6時ぴったりに停電開始。日誌をみたら前回は3日だったから丁度9日目。予定通り停電した。Snalのアドラールさんの云う通りだった。本当に計画停電なのだ。
20時(正確には19時50分)、回復。

マーゴのお腹にはまだ子どもが残っているはずだが出てきていない。

電話ではないと云っていた豆腐が行ってみるとあった。2丁、6ドルを買って帰宅。夜は豆腐づくし。

le jeudi 13 juillet 2017
6時、快晴、18℃、47.5%。

先月書いた快い響きをもったルブンバシの通りの名前、「チャンガレレ」はTshangaleleと書く。シャンガレレではながった。リカシ市の人口湖の名前でもある。間違ったので訂正する。

隣の床屋Esdras君のところで整髪。

le vendredi 14 juillet 2017
6時、快晴、18℃、50%。

カスンバレサでムソシの子供たちがレストラン用の物件を見つけたようだが見に行けない。僕の旅券が滞在ビザのため移民局に提出されたまま返ってきていないためだ。致し方ない。カスンバレサ街道では途中で旅券検査がある。賄賂をせびるためのコントロールだ。

今日はフランス革命記念日。パリではトランプを招待して大騒ぎ。第一次世界大戦、1917年に米国が参戦してから100年記念だという。一般はヴァカンスでパリにいない。
この1917年は、ロシア革命の年でもある。父健一が生まれた年だ。父は1985年、僕がルガノにいた時に他界してしまった。

le samedi 15 juillet 2017
7時、快晴、18℃、50%。


6時に目が覚めたとき停電していた。これは定期の停電ではないな。8時20分に回復。tant mieux。10時10分、再び停電。merde alors !

08 juillet 2017

6月16日~30日 独立記念日 jour d'indépendance

Le vendredi 16 juin 2017
7時、晴れ、2057.5。多少雲あり。

起きた時には既に停電中。通りの向かいには電気が来ているというのに。
20時、やっと回復。長かった。

コンゴ河インガIIIダムといえば、本ブログでも何回も登場している夢のダムである。夢というのは、何時できるか分からないダムだからだ。1983年から俎上には載せられている。
13日(火)のキンシャサ発表では、プロジェクトに応札したスペイン系コンソーシアムと中国系コンソーシアムをコンゴ側が選択したものの、この両コンソーシアムに合同するように要請したという。
アフリカ大陸全体の電気需要まで担うことができる巨大なダム発電所計画だ。これからどうなるか全く見えない。ファイナンスは世銀をはじめ日本政府も約束している。
スペインも中国もお互い協力してプロジェクトにあたるのだろうか。

Mégabarrage d'Inga: la RDC veut une alliance sino-espagnole

Publié le mer, 14/06/2017 オカピ放送(RDCコンゴ国連放送)
Mégabarrage d'Inga projet Grand Inga Économie Actualité National
    
Kinshasa a annoncé mardi avoir demandé au consortium chinois et à son concurrent espagnol en lice pour le contrat de construction du mégabarrage hydroélectrique d'Inga III de se regrouper pour soumettre une offre unique.

Cette décision retarde ce projet pharaonique, en gestation depuis une trentaine d'année, alors que le gouvernement de la République démocratique du Congo avait annoncé précédemment son intention de désigner le "concessionnaire avant la fin de l'année 2016" pour un lancement des travaux en 2017.
Les deux groupements d'entreprises en compétition sont un consortium chinois emmené par Three Gorges Corporation (gestionnaire du gigantesque barrage des Trois-Gorges en Chine) et un autre autour du groupe de BTP espagnol ACS.

"Les deux groupements concernés ont [...] été invités, en considération de leurs dossiers de réponse, des enjeux du projet et des développements pertinents du marché et de la demande, à prendre toutes dispositions utiles afin de constituer un groupement unique devant présenter une offre optimisée", écrit l'Agence pour le développement et la promotion du projet Grand Inga (ADPI) dans un communiqué.

Le bref texte de cet organisme rattaché au cabinet du président Joseph Kabila ne donne aucune indication sur la date attendue de livraison des premiers mégawatts que pourrait produire ce barrage. En septembre 2016, le directeur de l'ADPI avait avancé l'échéance de 2021. Inga III doit venir compléter les deux centrales vieillissantes entrées en service entre 1972 et 1982 aux chutes d'Inga sur le fleuve Congo, à 260 km en aval de Kinshasa.

Le futur barrage doit produire 4.800 MW (l'équivalent d'environ trois réacteurs nucléaires EPR de troisième génération) dans un pays où moins de 10% des habitants ont accès à l'électricité. Si le projet se concrétise enfin, la population congolaise ne devrait cependant pas bénéficier beaucoup de la lumière produite par Inga III. L'Afrique du Sud a en effet signé une option préférentielle pour récupérer 2.500 MW et la majeure partie du reste de la production est censé aller vers les groupes miniers du Katanga (sud-est), handicapés dans leur activité par une pénurie chronique d'énergie.

A la mi-2016, la Banque mondiale avait brutalement suspendu sa participation au projet (sous forme d'un don de plusieurs dizaines de millions de dollars), reprochant aux autorités d'avoir donné "au projet une orientation stratégique différente" de ce qui avait été convenu initialement.

Depuis lors, l'incertitude politique provoquée par le maintien au pouvoir de M. Kabila au-delà de son mandat (échu en décembre) combinée à l'absence de perspective d'élection à court terme pèse lourdement sur le climat des affaires.
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Le samedi 17 juin 2017
5時半、快晴、2055

5時半起きしたが、6時半になっても停電なし。

Petit pays』ページ28
baba cool」(ババ クール)、ヒッピーと同義語だそうだ。
1960年代、70年代に「流行」したヒッピーとは何だったのだろうか。エコロジストのハシリなのか、自由人たちだったのか。スペインのイビサやカナリアでそれらしき人々に会ったことがある。アフリカの大湖地帯にも来ていたのだ。
中国古典文化圏の日本では晴耕雨読の自由人が昔からいた。

Le dimanche 18 juin 2017
6時、快晴、20℃、60%。

お風呂のヒーターが作動しない。お湯が使えない。電気屋ペリカンさんの電話が通じない。
ペリカンさんは午前中教会に行っていたそうで、昼近くに家にきてくれた。故障はヒーターではなく、ヒーターへのケーブルが外れていただけだった。

アフリカ大陸のコットンといえば、エジプトが先ず念頭に浮かぶ。しかし、大陸の綿花はマリ、ブルキナ、コート・ジボワール、ベナンをはじめとしサハラ以南の諸国も盛んである。気候の所為もあって落ち込んでいたコットン生産が2017年は記録的に伸びているという。鉱物資源のあまりない国、例えばベナンでは朗報である。

ここカタンガ州も綿花に適した気候地帯に入るようで、ムソシ鉱山で残された日本人ハーフの事業の一つとして、国境カスンバレサで提供された土地で綿花を栽培してはどうかという話が昨日あった。シスター7・アスンタさんがあるNPOと協力して綿花栽培ができないかと検討してくれている。

Le lundi 19 juin 2017
545分、快晴、2050

Le mardi 20 juin 20017
5時半、快晴、2055

山岳ゴリラの生息地として知られるヴィルンガVirunga国立公園(RDCコンゴ、北キヴ州)の南にカフジ・ビエガKahuzi-Biega国立公園がある。南キヴ州の州都ブカブの西に位置する。こちらは低地ゴリラの生息地だ。
Petit pays』を読みながら位置関係を誤解していた。ブジュンブラ(ブルンディ首都)はタンガニーカ湖の北端にある。コンゴ側のブカブ市はブジュンブラから140km北に行ったところでキヴ湖に面している。ブジュンブラの西ではなかった。ブカブから北キヴのゴマへはさらに220kmのエドワール湖まで北上する。
RDCコンゴ東部も2000年代初頭よりは平和になって、ゴリラ観測の観光客も増えてきているそうだ。国立公園では野生ゴリラを馴らして観光客が来ても逃げないようにしている。そうしなければ、観光客の前にゴリラたちは現れない。なるほど。ザンビアやタンザニアの国立公園でライオンやキリン、シマウマなどを見たが逃げずにゆうゆうとしていた。野生とはいえ「馴らされている」だけだったのか。RDCコンゴのカフジ・ビエガのゴリラ ツアーが400ドル、ウガンダでは600ドル、ルワンダの自然公園は1500ドルだそうだ。高いなぁ。世界にはお金持ちいるものだ。

コンゴの野生ゴリラ、観光客誘致に心の準備は?
Chimanuka in Kazhuzi-Biega National Park.
By Michael M. Phillips 
『ニューズウィーク』2017 6 20

「【カフジ・ビエガ国立公園(コンゴ民主共和国)】体重約230キロのゴリラ「ムプングエ」を人種差別主義者だと非難するのはフェアではないだろう。

 しかし、ムプングエは最初に白人を見たとき、森に逃げ込み、ストレスからくる発作的な下痢に見舞われてた。ゴリラを人間に慣らす責任者、ロバート・マリンビ氏はムプングエを安心させるためにマニラ封筒で作った白人風のマスクを着け、深いやぶの中に入って行かなければならなかった。

 マリンビ氏のアシスタントを務めるサンドロ・マスンブコ氏は「そのアイデアが浮かんだときには冗談のように思えた」と笑いながら話す。「でも、結果は上々だった」

 マリンビ氏は、カフジ・ビエガ国立公園のゴリラたちを観光客に慣らすことを任されている。国立公園当局者は野生のゴリラを観察できるトレッキングツアーで裕福な欧米人観光客を呼び寄せたいと考えている。ゴリラたちにこれを受け入れさせるのがマリンビ氏の役目だ。

 カフジ・ビエガ国立公園があるコンゴ民主共和国の東部は、1990年代半ばにルワンダ虐殺が国境を越えて広がって以来、断続的な戦争や移動しながら活動する民兵組織などに悩まされてきた。

 しかし、同国立公園は世界最大のゴリラを観光客が野生で見ることができる唯一の場所であり、当局者は比較的平和な期間が継続することで冒険好きな人々のバケツリスト(死ぬ前にやっておきたいこと)に入ることを望んでいる。ゴリラツーリズムには2つの役割があるという。国立公園と野生動物を保護する資金の獲得に加えて、近隣の住民にも収入がもたらされるのだ。そうした収入がないと、近隣の村人たちはゴリラを食用にしようと考えるかもしれない。

 1995年、コンゴには約17000頭のグラウアーゴリラが生息していた。そのうちの約77%が戦闘中に殺されてしまい、米国に本部を置く野生生物保護協会(WCS)によると、今やそのゴリラは近絶滅種に指定されている。ユネスコ世界遺産にも登録されている約6000平方キロのカフジ・ビエガ国立公園内で人の存在に慣れていたゴリラの群れは5つあったが、そうしたゴリラは戦争中にほぼ全て殺されてしまった。

 密猟者たちが近づいてもゴリラたちは警戒しなかったとマリンビ氏は言う。「彼らは密猟者たちのことを観光客だと思ってしまった。だから殺されたのだ」

 戦闘が沈静化したことで、公園当局は今こそカフジ・ビエガをゴリラツーリズムの穴場として売り込めると考えている。ウガンダのブウィンディ原生国立公園ではゴリラを見るための許可証が11人当たり600ドルとなっている。ルワンダは最近、ボルケーノ国立公園でゴリラを見る料金をそれまでの倍となる1500ドルに引き上げた。

 カフジ・ビエガの許可証料金は400ドルで、かなり割安となっている。

 同公園の責任者ジュベナル・マンガンガ氏は「他の公園のゴリラがわれわれのゴリラよりもすごいとは思えない」と話す。昨年の訪問者数は1124人で、その多くは政情不安や貧困を抱えるコンゴに滞在している援助活動従事者、国連平和維持部隊、その他の人々だった。コンゴ在住の外国人には許可証の料金に割引が適用される。

 公園当局者は、より多くの観光客を呼び寄せるのに十分な数のゴリラを人に慣れさせる一方で、人への慣れがもたらす危険にさらされるゴリラの頭数を必要最低限にとどめている。公園を守っているのは、自動小銃「AK47」で武装した約200人のレンジャーだ。

 人に慣れたゴリラの中でわずかに生き残ったうちの1頭が「チマヌカ」だ。今やシルバーバックに成熟したチマヌカと妻3頭、子供15頭は公園のスターとなっている。」

Le mercredi 21 juin 2017
6時、快晴、18℃、50%。

ルブンバシ路上の両替屋で1ドルがついに1500FCになった。昨年1月の900FCからコンゴフランの価値が1/3になってしまったということだ。物価は上げっている。しかし、ドル換算すると大幅に下がっているともいえる。例えば、キプシ=ルブンバシ30kmのバス代は1000フランだが、値上げっていない。しかし、ドルでは1ドル以上した乗車料金が66セントだ。フランでの値上げが追い付かず電気代が22ドルから20ドル等々。
家賃はだからドル建てフィックスされている。僕の庭師の給与もドル払いにしている。学校の授業料もドル。公務員給与も建前はドル。ただ、換算率が非現実的で相場とはかけ離れている。コンゴフランしか受け取っていない人々の生活は極めて苦しくなっていると推察できる。

du jeudi 22 juin au mardi 27 juin 2017
ザンビアのリビングストンに行っていた。
ビクトリア瀑布
橋を渡るとジンバブウェの瀑布になる

Le mercredi 28 juin 2017
6時半、快晴

12時、カスンバレサからルブンバシ経由キプシの家に帰った。
チーコちゃん、マーゴちゃん、ブラックー君皆元気にしていた。

コーヒーをいれた。ザンビアでは、コンゴ、タンザニア等隣国どこでもそうだがコーヒーと云えばネスレのインスタントかリコフィーしか飲めない。いずれもコーヒー生産国だが国民にコーヒーを飲む習慣がないのである。家に帰る挽いた豆がある。フィルターで漉してまともなコーヒーが飲める。

7時半、チリラボンブウェChililabombweのホテルを出発。カスンバレサ国境まで乗り合いバスで20分、20km。10クワッチャ(1ドル)。
チリラボンブウェで泊まったのは初めてだ。コンゴとの国境に至るザンビア側の最後の町である。これまでは、キトウェ(国境まで94km)で泊まっていた。数年来キトウェ=チンゴラ間の道路工事が完工していないため悪路が続いていて時間がかかるため、チンゴラChingola(国境から43.5km)の先のチリラボンブウェを宿泊地に選んでみた。ホテルはタクシーの運転手が推薦したところだが、レストランもバーもないゲストハウスであった。300クワッチャ(30ドル)。清潔でお湯も出たので良しとする。住宅街の一角だった。

ホテル到着が20時となり、近くの南ア系ショッピングセンターにあるファストフード店「ハングリー ライオン」でダブルバーガー(50クワッチャ)を注文した。KFCやマクドナルドを真似たところだが、サービスもバーガーも最低だなぁ。従業員教育とメニューの見直しをすべきだろう。

昨日27日(火)は朝9時のバスで首都ルサカを出発した。バスはザンビアでは最良のバス会社と思われ、以前にも何回も利用したインド系と思われるマザンドMazhandu社のバスにしたのだが、出発が珍しく40分遅れ、キトウェ到着も14時の筈が17時近くだっだ。バスも古くなって来ていてサービスも質が悪くなってきたようだ。

Le jeudi 29 juin 2017
6時、快晴、1855

Le vendredi 30 juin 2017
6時、快晴、1855

今日はRDCコンゴ独立記念日。1960年の630日に独立した。1885年のベルリン会議でコンゴはベルギー国王の私領とされた。75年後に独立したわけだ。独立から57年経った。
現在アフリカ大陸には54か国がある。最も新しく独立したのが南スーダンだ。もっとも南スーダンはスーダンから分離独立したので欧州宗主国から独立したのではない。

RDCコンゴは宗主国ベルギーに弓をひいて、銃を向けて独立したのではない。独立戦争というほどの武力闘争はなかった。革命の経験もない。現大統領の父親がキンシャサに入城してモブツ政権を倒したときも、革命というよりも、ジンバブウェ、ルワンダ、ウガンダ、アンゴラの軍の応援を得ていた。国歌では「立て、コンゴ人Debout Congolais」と高らかに歌うが、全国民が政府に向かって立ち上がったことはない。

アフリカの大部分の国は、北アフリカ諸国を含めて、独立以前よりも農業生産が落ちている。国民生活も爆発する人口増の前に、独立前よりも良くなったのかどうかあやしい。インフラも独立前の方がよかった。
これからアフリカは何処に行くのだろうか。海外からの援助がいらない、援助を期待しないアフリカに何時なれるのだろうか。

RDCコンゴでは独立記念日を各地でささやかに祝ったが、大統領演説はなかった。これで今年の半分が過ぎるけれども、今年中に約束の大統領選挙が行われる気配はない。

57 ans d’indépendance de la RDC : que reste-t-il à faire ?

Publié le jeu, 29/06/2017 国連オカピ放送
Parole aux auditeurs Émissions National
    
Défilé militaire des forces armées de la République Démocratique du Congo le 30/06/2014 sur le boulevard Triomphal devant le Palais du peuple à Kinshasa, lors de la célébration de 54em anniversaire  du Congo. Radio Okapi/Ph. John Bompengo
Défilé militaire des forces armées de la République Démocratique du Congo le 30/06/2014 sur le boulevard Triomphal devant le Palais du peuple à Kinshasa, lors de la célébration de 54em anniversaire du Congo. Radio Okapi/Ph. John Bompengo
30 Juin 1960-30 juin 2017, cela fait 57 ans jour pour jour depuis que la RDC a accédé à la souvernaité nationale. 57 ans après, le pays a connu et tenté de relever plusieurs défis sur la plan politique,social, économique et sécuritaire.


A cette occasion, quelle réflexion faites-vous sur les acquis à capitaliser et des défis qui restent encore à relever?