07 février 2010

引越まで jusqu'au déménagement (5)

「引越しまで」の最終回

Le 30 janvier 2010, samedi
フランシスコ会が経営するルイシャLuisha(またはLwisha)の学校をシスター・アスンタさんと訪ねた。LuishaはLikashi街道を70kmほど行ったところを左に入る。Likashi街道は有料道路である。学校は森の中の環境に恵まれたところにある。広大な敷地に校舎と寄宿舎。小・中学校の寄宿生徒が800名。全員女子。外部からの通いの生徒が800名。総計1600名という大規模な施設。男子は小学校のみ通いなら入学できる。始まりは鉱山会社Gecaminesの社長をしていたというベルギー人夫妻が建てた学校。夫婦に子どもがなかったので学校を建てたらしい。当初は聖ウルスラ会が運営していた。

学校の敷地に入る手前に鉱山労働者たちの村があった。この辺りでもコバルトや銅が採れる。露天掘りである。ごみごみとした村。仮説の建物というより掘建て小屋。小さな店が街道筋に立ち並んでいる。商品は豊富にみえる。鉱山会社に勤めている者もいるが、大抵は勝手に鉱石を掘って業者に売る不法労働者だそうだ。茣蓙を敷いて選考している人も散見した。近くに鉱石がなくなったら、村ごと移動する。
学校の敷地内にも銅、コバルトが眠っているという。数年前、学校を取壊して鉱山開発をするという話が持ち上がり、フランシスコ会がルブンバシの街中でデモをしたそうだ。効果があって知事も出てきて取壊しは中止となった。カタンガ州いやコンゴには土を掘ると鉱石がでるという場所がいくらでもある。銅、コバルト、ダイヤモンド、金などなど。

時間があったので食事を学校でご馳走になってから、鉱山の跡地で水が出て、人口湖になったところを見学。水は飲料水としてポンプで貯水タンクまで汲み上げられる。何十人もの村人(子供たち)がポリタンクを持ってとりにきていた。凄まじい光景である。大人は鉱山で働き、子供たちが水汲みに借り出されているのだ。水道を引けばどんなに便利になるだろう。しかし、飲料水は貴重だ。この鉱山の跡地のようなところを中国が買ったそうだ。まだ開発できると見込んだのだろう。跡地の竪穴、横穴を見たが、狭く如何に鉱山労働が厳しいものかの一端を覗いた気がした。大人ではなく子供たちが地下にもぐって採掘していたのではないか。
フランシスコ会はこの村に小さな教会と無料診療所を建てた。

帰りにまた警察のバリケードでつかまった。速度制限50km/hのところを56kmで走ったというのだ。道路標識を見て速度を50以下に落とす途中だったのだが、許してくれない。目的は分かっている。賄賂sucréだ。アスンタさんを初め他に3人のシスターを乗せていた。彼女たちは「一切払うことはない、いろというなら一晩中でもいてやる。本庁のお偉いさんに連絡するわ」。ところが電話が通じない。電波がとどかないポケットに入っていた。二人のシスターが車から降りて電波のあるところまでヒッチで移動。その間に警官側が諦めて「もう免許証を返すから、とっとと行ってくれ」。ヒッチをしたシスターたちを拾いに行って、戻ったら警官たちの影も形もなかった。シスターたちは強い。制限速度オーバーが小さかったし、事実速度をぐんと下げたのだから強気に出たのかもしれないが助かった。ありがとうシスターさんたち!しかし警官たちのお陰で30分以上道草をくった。悪質な警官たちだ。ところが驚いたことに、ポリスの制止を聞かず振り切って逃げてしまう車が後を絶たないことを目撃した。「とまってられるか」というのだろう。危ない。しかし警官も心得ていて、さっと逃げる。なるほど。プレート・ナンバーを控えたり、写真をとったりなんかここの警官ができるわけがないのだから逃げるが勝なのだ。でも彼らの真似はこちらとしてはチョイトできないな。万が一警官を轢いてしまったらことだもの。

Le 31 janvier 2010, dimanche
再び動物園。今度はAlain君をつれて行った。いい散歩になる。今日はトラもライオンも一頭づつしか見られなかった。日差しが強かった所為で、部屋に閉じこもっていたのだろうか。しかし、2006年2月とは大きく改善されたのはさすがである。そう何度も思う。

Kipushiの水道工事は順調に推移しているというが、明日はどうなるのだろう。

Le 1er fevrier 2010, lundi
デッキ・チェアーをみつけた。空港へ行く道のMozarという店は210ドル。プラスチック製。理想的だが高すぎ。街中の中央郵便局裏の店は、スチール・パイプだが洒落ていて100ドル。アルジェリアではいくら金をはずんでもなかなか手に入らなかったsun bathing用のイス。それでもコンスタンティーヌでやっと見つけたのはとても重たいL字型鋼製だったが、直ぐに壊れてしまった。それに守衛が夜勝手に持ち出して寝ていた。アルジェリアは地中海を隔てて欧州の向かい側だというのにものがない。生活習慣がちがうとはいえ、商品にvarietyがない。国民所得の差を考えると購買力はコンゴよりずっとある筈だが。ルブンバシの方が探せばなんでもある。高級品から粗悪なものまで。

車の燃費が悪い。9.2km/Lとは! ポルシェ以上に燃料を食う。どうもエアコンを無闇と使っているかららしい。Dar es Salaamのコンゴ人友人Chansaさんは、エアコンをつけると燃費が悪くなると、暑い最中エアコンをつけずに走っていた。お陰で僕は汗をふきふき助手席に乗っていた。しかし、エアコンをONにして走るとのとOFFで走るのとでは大差がありそうだ。調べてみると確かにエアコンONには問題がある。ルブンバシは高原地帯で本当にエアコンがいるほど暑くなるのは89月くらいなのだ。気をつけなくっちゃ。

Le 2 février 2010, mardi
サレジア会の神父Jean-Paulの誕生会があってご馳走だった。神父さんたち、例の如くよく飲む。今日はvideoを持込んで踊りだした。女性もかなり来ていた。神父さんの一人がキャバレーまがいのベリーダンスを披露。さらに他の神父さんたちが踊り手の胸や耳に札を挟んだ。おいおい、やりすぎですぞ。

みつからないように段ボール箱に入れて、タオルをかけ「マドンナ」をサレジア会の宿舎の部屋に泊めた。夜中にくんくんと泣き出した。母恋し、兄弟姉妹恋しなのだろう。ミルクをがぶ飲みする。飲むと直ぐにおしっこ。うんこもしてくれた。やはりマドンナと一緒にサレジア会に長居はできない。マドンナ極めて健康そうだ。残っていた仔犬の中で一番太っていた。

Le 3 février 2010, mercredi
意を決してKipushiに引っ越した。町の水ポンプは2台とも代えたそうだが、まだ水が来ていない。しかし、問題は煮詰まってきているので、ここ数日の内には解決するだろうという僕の見通しである。なにしろ、「マドンナ」をかかえてサレジア会の宿舎にはいられない。

AKJ, Association1のドキュメントは今Division de la Justice(法務省出先機関)にある。Kyungu氏が内務副大臣と懇意とて、早急な登録手続きを期待しているが、今日になって180ドル必要だという。初めて聞くことだ。計画性がない。たまたま僕が持っていたからいいようなものの、なければまた手続きが遅れる。金曜日には仮登録ができると?眉唾だね。フランシスコ会のためにこうした手続きをしているAntoine氏とKyungu氏を会わせよう。Antoine氏は教会の車関連、通関、身分証、NGO(教会もNGOをいくつか設立している)等の手続きを一手に引き受けている。

トマトの缶詰を開けようとしたら缶切りが使えない。歯が曲がっている。中国製。みかけに騙された。明日ルブンバシの「Agate」でまともな缶切りを手に入れよう。久しぶりのパスタも明日以降だ。

19時10分から20時25分まで停電した。Kipushiは停電しないといったのは誰だった?

蚊が思ったほどいない。勿論電気蚊取り、スプレー、蚊帳は併用している。

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