22 juillet 2010

7月21日 le mercredi 21 juillet 2010 イグナシアス・サンチョ他 Ignatius Sancho, etc

Le 21 juillet 2010, mercredi
曇。家にいるときに曇り空は珍しい。日が差してきそうな気配もある。
午後から晴れた。

ネットの調子は不安定。全く切れてしまうのではなく、接続が「細る」のである。「細る」とスカイプなどが出来なくなる。Downloadするために異常な時間がかかる。ま、切れるよりはまし。

マドンナが壊した玄関のガラスを修理している。ガラスは大きさを測り昨日調達した。パテで窓枠に嵌め込む。また壊されてはかなわないから、引越し間際までガラスを入れるのは待とうかな。虫は少なくなったからなんとかいけるだろう。

そういえば、蚊が少なくなった。しかし、一匹でもいれば刺される。昨夜も数ヶ所刺された。蚊帳に大きな穴が開いている。マドンナは外に出したから、こんどはチコちゃんが爪をかけて随所に穴をあけてくれる。新しい蚊帳を買おう。

日本大使館に草の根援助申請書を書かなければならない。大使館の方がメイルで申請書を送ってくれた。「日本カタンガ協会」は援助を受けた実績がないからなぁ。しかし、実績がないとはいっていられない。先ず、フランシスコ会の産院、柔道の先生の招請、キプシの小学校の校舎増設、その他一件一件依頼しなければ。頼みの綱である。

Ignatius Sanchoという歴史上の人物を知った。マリーズ・コンデ『セグ』第2巻に出てきた。この本の影響は暫く続く。
イグナシアス・サンチョは、アフリカから南アメリカに渡る奴隷船の中で1729年に生まれた。後の作曲家、俳優、作家、ジャーナリストである。黒人の英国人として始めて選挙権を得た。当時最も有名なアフリカ系英国人になった。18世紀の王室画家Thomas Gainsboroughが彼の肖像画を描いている。奴隷解放運動の象徴でもある。英国がフランス他の先進国に先駆けて奴隷制を廃止したのはサンチョの死後1807年のことであった。Sanchoは、ジャマイカ生まれの黒人Francis Williamsと同じく、英国公爵ジョン・モンタギュにより教育を受けている。この公爵が英国で初めての孤児院を設立している。
作曲家としてのサンチョは歌曲、フルート、バイオリン、ハープシコード等のための62曲を作った。ネットで彼の曲をいくつか聴くことができる。
http://sanchomusic.tripod.com/
音楽理論も出版している。死後書簡集が出版されベスト・セラーとなった。俳優としては成功しなかったようだ。
しかし、彼の仕事はアフリカ文化と関係がなさそうだ。アフリカで生活したことのない彼である。サンチョの貢献は、人種が違い、肌が黒かろうが、教育の機会さえあれば、英国人(白人)に劣らぬ仕事ができることを、その人生をもって証明したことである。

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