13 juillet 2010

7月9日 le vendredi 9 juillet 2017月9日ピグミー人 les Pygmées

Le 9 juillet 2010, vendredi
快晴。

マドンナ君がやっとトイレを覚えたようだ。ベランダで粗相をしなくなった。しかし、悪戯は相変わらずで、どこからかペット・ボトルを持ってきて齧ったり、洗濯物をずたずたに引き裂いたりと夜中の彼女の行動は凄まじい。でも昨日見知らぬ他人が敷地に入って来たときは吠えまくった。あゝ、吠えないワンちゃんじゃなかったんだ。よしよし。

昨日京大のアジア・アフリカ研の市川名誉教授にメイルを書いた。教授はザイール時代にイトリIturiの森でピグミーの研究をされている。果たして返事がいただけるかどうか。

ピグミー人について補足すると、彼らの人口分布は中部アフリカに集中している。ガボン、中央アフリカ、カメルーン、ウガンダ、タンザニア、コンゴ共和国そしてコンゴ民主共和国である。人口は現在15万から20万人と推定されているが、そのうち5万人がここコンゴ民主共和国に住んでいる。バンツー人も遺伝子学的には同根で6万から7万年前に別れたといわれている。しかし、生活はバンツーの農業定着型に比して狩猟・採集ノマード型がピグミー人である。ピグミー人の国内難民はコンゴ(RDC\)で3万5000人に上る。多くは森や熱帯潅木地帯に帰ることを断念せざるを得ない状態に追い込まれている。森に熱帯潅木地帯に狩るべき動物が激減した、採集すべき木々が減った。コンゴ(RDC)の場合、原因は内戦である。ヒトと看做されないピグミー人は近代兵器で殺され食されてしまった。生活の場に安全もなくなった。ということは定着型の生活を身に着けなければならない。国内難民となって村落や都市周辺に逃げてきた。彼らはアフリカの他の民族と同じように大家族制である。森では死亡率が高かった。人口は殆ど増加しなかった。難民となるとある程度医療保護が受けられるため家族の人口が増えてきている。しかし、内戦状態が解消され農業定着型の生活になるとMSF(国境なき医師団)や国連は引揚げる。普通の生活をしなければならない。貨幣経済に対応しなければならない。時間がかかる。飢餓状態が続く。僕の行ったキャンプでは、祈祷師だけがレンガ造りの家に住み、自転車を3台持っていた。祈祷師guérisseurは無知を利用した詐欺師である場合が多い。薬草など伝統医療の達人は少ない。若い男はキャンプの回りで野鼠や蛇を狩りに行く。それ位しか動物らしい動物がいなくなった。女は食べられる植物を採集に出かける。キャンプには老人、子供、病人が残る。祈祷師はたまたま狩猟された動物または飼育された動物やトウモロコシなどを受け取り民間療法を施す。祈祷師は受け取ったものを町で換金する。詐欺師は儲かる商売なのだ。それでもみんな祈祷師に頼る。現金を持たないからだ。町の医者は有料だ。トウモロコシを耕作して初めて農業で現金を得たピグミー人は農業の仕組みを体得した。

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