03 avril 2011

3月26~29日 du 26 au 29 mars 2011 コンデ『わたしは魔女チトゥーバ』 «Moi, Tituba sorcière...»

Le samedi 26 mars 2011
晴。7時、気温24℃、湿度67,25%。

12時10分、断水。天気がよくなったので車を洗おうとした途端の断水。20時、回復。昼間暑いときに水が出ないというのは痛い。

夕方からネット不調。そろそろ今月の契約が切れるが今日はまだ有効なはず。ところが、21時になって、ばっさり切れてしまった。2月28日に3月分を払ったのだから、月曜まで接続されていてもいいはず。

Le dimanche 27 mars 2011
薄曇。7時、気温23℃、湿度70%。

WVに対する抗議レターを修正。

日曜だというのに、アラン君がネット接続契約延長手続きをしてくれた。ありがたい。

チーコちゃんが僕の寝室で粗相ををしてくれた。部屋に閉じ込められていたので致し方ない面もある。でも、ベッドにピピ(おしっこ)はちょっと困った。

Le lundi 28 mars 2011
曇。7時、気温23℃、湿度72.5%。

東京の銀行からネット送金の手続きをしていたが、ネットが不調でいらしらしていたところ、追討ちをかけるように停電。この停電は短かったが、送金手続きはできなかった。再度暗証番号をいれるところから、繰返さなければならない。

Le mardi 29 mars 2011
晴。7時、気温23℃、湿度70%。

ネット不調。見られないメイルがある。

アボカドの質が悪くなってきた。雨季が来月で終わる。アボカドの季節からいうと末期にちがいない。隣家の息子エリティエ君から買ったうちの半分は捨てなければならなかった。効率が悪い。
NPO「WV」の会長あてのクレームレターをメイルでWV米国、英国、ジュネーヴ、国連及びフランスに送った。果たして反応はあるだろうか。

マリーズ・コンデ『わたし、魔女チトゥーバ Moi, Tituba sorcière,』を終わった。期待を裏切らない面白い作品だった。途中、歴史的事実である「セイラムの魔女裁判」の場面がかなり長く描かれている。作者の想像が制限されるところで、ちょっと退屈した。生まれ故郷のバルバドス島から、夫について清教徒の影響の強いボストンそしてセイラムに移住する、文庫本で278ページの小説だが、最初の50ページと最後の100ページが息をつかせない運びである。最後はコンデ得意の悲劇だ。なかなかハッピー・エンドは用意してくれない。バルバドス島に戻れたものの、黒人奴隷反抗の萌芽としてのマロン運動にかかわりつつ命を落とすのである。マロンについては、コンデ『セグ』第3巻のジャマイカの場面に触れたときに本ブログに書いた。ジャマイカのマロンは19世紀前半、『私は魔女、、、』のマロンは18世紀前半で100年の差がある。

ところで、魔女sorcièreとは一種の職業であり、生まれながらにして魔女ではなく、体得する知識と技術で魔女になるのだというのは興味深かった。では、僕でも魔法使いsorcierになれるかというと、薬草の採集や催眠術は習うことができそうだが、死者の霊を呼び出したり、海神に祈りを捧げるなどできそうにもない。やはり、体得するとはいっても、資質(タレント)が必要なようだ。
(画像は文庫になったコンデの小説の表紙、表紙画は女流画家ブノワMarie-Guillemine Benoist『黒人女の肖像Portrait de régresse』(1799-1800)の部分。ブノワの出世作になった)。

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