31 mai 2011

5月26、27日 les 26 et 27 mai 2011 ムナナ・ウラン鉱山(ガボン) mine d'uranium de Mounana (Gabon)

Le jeudi 26 mai 2011
快晴。7時、気温22℃、湿度60%。

10時から断水。夜になって回復したらしいが、待ちくたびれて僕は寝てしまった。夜中に台所の水道の栓を閉めた。飛沫が床を濡らしていた。

抗ヒスタミン剤Ataraxの効果がなお不明。昨夜50mgを服用して横になったらとくに眠気に誘われなかった。悪夢を見た。
ネット、昨夜から不調。今朝も回復していない。10時過ぎから電話も不通。VodacomもAirtelも通じない。11時半、両携帯電話は回復。ネットは相変わらず不通。

庭のパパイアの実に食べごろのがあるというので、採ってもらって冷蔵庫で冷やしておいた。思ったよりも美味しい。甘さは控え気味。味としてはマンゴの方が好きだが、マンゴは季節は12月ころでもう終わっている。マンゴは実が食べにくいけれど、パパイヤは簡単だ。パパイアがこんなに美味しいとは思わなかった。今年の乾季はパパイアがたくあん採れそうだ。


Le vendred
i 27 mai 2011
快晴。7時、気温22℃、湿度55%。
友人「26 mai」の命日だ、

ネット不通。ルブンバシのAirtelまでPCをもってクレームに行った・不通の原因は僕のPCのファイアーウォールだったのだが、既にイニシアルのクレジットもないと指摘された。いかし、これがわかるまでに、多くの時間を要し、「いい加減しろ」と怒鳴ってやっと真剣にAirtelの担当がなったのである。怒鳴られなければしゃんとしないのでは情けない。しかし、アルジェリア人もコンゴ人も怒鳴られるとぶつくさ云うくせに、まともに仕事をしだすのだ。

警察のジャン・リュックが来てくれというので署に行ってみると、250ドルとカメラを渡すという。250ドルは何だときくと、両
替屋の補填だと答えた。それはおかしい。初めの両替屋は1万円札15枚と1000円札7枚を買ったはずだ、ならば、1800ドル以上を買ったのであって、250ドルなんて額ではないと反駁。追加を両替屋に支払わせるように申し込んだ。カメラは無事に戻ったが、中にあったメモリーカードはなかった。Cが捨てたというジャン・リュックの説明も納得ができない。
そこで、シスター・アスンタさんの知り合いのコロネルから警察のトップを紹介してもらうことと、アラン君の知り合いの弁護士に警察を監視してもらうことにした。ジャン・リュックにここで捜査を中止してもらっては困る。モティヴェイションとして300ドルも払っているのだ。円関連は全額戻して欲しい。形見の指輪も特殊な指輪なので売るのは難しかろう。金のブラスレットだって、コンゴ人が好むデザインではない。でも、金価格があがっている現在、金を溶かしてしまったらそれまでだ。
ネット不調。Airtelがましだというのは幻想だったようだ。
昨夜書いて、ネットの具合が悪く出せなかったメイルを今日21時やっと出すことができた。

マドンナの腰のこぶ(注射の腫れ)は大分ひいてきた。

ガボンのムナナMounanaにウラン鉱山がある。ムナナはガボンの南東に位置するフランスヴィルの近くである。コンゴ共和国(首都ブラザヴィル)の国境に近い。採掘はフランスのAreva社の子会社であるCOMUF(Compagnie des Mines d’Uranium de Franceville)が行ってきた。99年に閉山しているが、いま採掘再開の準備中だ。ここで鉱山関係者(労働者、ラボ職員その他)がほとんど全く無防備でウラン開発に従事していたことが問題になっている。数年または10年以上に亘って放射線を浴びてきたのだから
障害が起こって不思議はない。企業責任が問われている。RFI(国際フランス放送)で特別番組を組んでいた。
RDCコンゴのシンコロブウェ鉱山(カタンガ州)でも同様のことがあったと思われるが、全く報道されていない。ベルギーが採掘した当時(1940年代)も、鉱山労働者たちは放射線をまともに浴びながら作業していたときく。こんどは、ベルギーではなくフランスのAreva社がシンコロブウェを採掘再開するといわれているが、放射能対策を十分に整えて欲しいものである。

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