21 avril 2014

4月21日 モロッコ国王西サハラに行幸 Maroc: au Sahara, le roi accomplit la prière avec un ministre ivoirien

Le lundi 21 avril 2014
6時、快晴、22℃、65%。

先週15()何者かに森で銃撃されたビルンガ国立公園の園長エマニュエル・メロード氏がケニアの首都ナイロビに立った。弾丸は腹部と胸部に命中しているが、命はとりとめた。外科手術をゴマ市の病院で受けたが、18日(金)午後レンタルされた飛行機で家族が住むナイロビに飛び立った。
銃撃した犯人は捕まっていない。密猟グループが園長を狙ったのではないかと僕は思うが、ルワンダ、ウガンダと国境を接する紛争地帯の自然公園であるから、犯人はギャングかもしれない。このニュースは日本でも報道された。
マウンテンゴリラがいるビルンガ国立公園は世界的に有名である。だが、そこの園長がプライベート・ジェットでナイロビに行けるとはどういうことなのだろう。不思議である。ナイロビ行きを発表したのは北キヴ州の知事パルクPaluku氏である。彼がジェットを手配したのか。大金持ちのカタンガ州知事モイーズ氏ならジェット機を持っているが、パルク氏がそんなリッチとはきいていない。
ナイロビはウガンダ上空を飛んでゴマ市から最も近い都会である。キンシャサやルブンバシよりも遥かに近いことは確かである。
ゴマ市で手術を受けたが、経過が実は思わしくないのではなかろうか。

モロッコ国王モハメッドVI世が西サハラのダクラDakhlaに行幸した。先週16日(水)から18日(金)まで滞在した。金曜日にはコート・ジボワールの内務大臣ハメッド・バカヨコ氏とモスケで一緒に祈りをささげた。
イスラムの安息日は金曜日である。国王の目的は西サハラがモロッコ領土であることを国連安保理に対して示威したのに違いない。
西サハラ問題を何回かこのブログでも取り上げているが、西サハラはスペイン領だった。スペインは西サハラから引揚げる前にモロッコに西サハラを「返す」積もりだった。1970年代後半のことである。ところが、西サハラ独立を主張する人々(サハラウィ)がアルジェリアの支援を受けてモロッコとの併合に反対した。
従って、西サハラ問題はアルジェリアの当時大統領であったブームディエンヌの遺産である。
モロッコは「緑の行進」といってマラケシなどから西サハラに向かう大規模な市民のデモ行進を組織した。モハメッドVI世の父親ハッサンII世の時代である。西サハラ問題を契機としてモロッコとアルジェリアは袂を別った。これはハッサンIIの遺産である。
僕はモハメッドVI世がまだ少年だったころ、パリのノートルダムで行われたポンピドゥ仏大統領の葬儀にモロッコを代表して出席したのを見たことがある。既に16歳だったがまだあどけない子供といっていい少年モハメッドだった。モハメッドVI世を名乗ったのは1999年である。V世は祖父だ。
国連は西サハラに1991年以来サハラ合意(停戦)監視団Munursoを出している。西サハラは国際的にはアルジェリアの政治が功を奏して、モロッコにもサハラウィにも属しない、住民投票待ちの微妙な地域になっている。国連安保理では毎年国連のミッションを延長するか打ち切るか、ミッションの性格を強化するか検討している。その投票が明後日23NYで行われる。
MunursoRDCコンゴに駐留している国連軍などと違って、実戦部隊は勿論持たないし、人権の監視もしない。
モロッコは近年サハラ以南のアフリカ諸国(ブラック・アフリカ)諸国への外交を強化している。モロッコに同調する陣営を広げるあめだ。コート・ジボワールが西サハラにマイム大臣を派遣したのはその外交のひとつの成果である。コート・ジボワールには今年に入ってモハメッドVI世も公式訪問をしている。RDCコンゴには経済援助、特に農業の援助をモロッコが積極的に行っている。
モロッコはもっと王室を西欧化すべきだと僕は思う。欧州にはかなり王国が残っている。北はスウェーデンから南のスペインまで、いくつも王国がある。しかし、政治的実権を握っている王室はない。モロッコも立憲君主国だが、まだまだ憲法の力が弱い。しかし、モロッコが王国として生き残るためには、西欧化というグローバリゼイションを覚悟しなければならない。モハメッドVI世はそういう教育を受けてきたはずだ。
そして西サハラ問題が国内問題であることを世界に訴えるべきだろう。アルジェリアが気取った「社会正義」を退けるためには、モロッコが既に他民族国家であることを前面に出して訴え続けるのである。
これはモロッコ寄りすぎる見解だろうか。
モロッコ国王モハメッドVI世

Maroc: au Sahara, le roi accomplit la prière avec un ministre ivoirien
Le roi du Maroc Mohammed VI, qui effectue une rare visite au Sahara occidental, a accompli la prière du vendredi à Dakhla (sud) en présence du ministre de l'Intérieur ivoirien, Hamed Bakayoko, a rapporté l'agence officielle MAP.

Le souverain se trouve depuis mercredi soir dans cette ville de l'ancienne colonie espagnole située à 300 km de la frontière mauritanienne. Ce déplacement, le premier dans la région depuis plusieurs années, intervient à quelques jours d'un vote sensible au conseil de sécurité sur la mission de l'ONU (Minurso).

Selon la MAP, Mohammed VI était accompagné durant la prière de M. Bakayoko, ministre d'Etat, et un entretien a ensuite eu lieu entre les deux hommes. Aucune précision n'a été fournie sur son contenu.

Rabat a quitté il y a 30 ans l'Organisation de l'unité africaine (OUA), devenue Union africaine (UA), pour protester contre la reconnaissance par cette organisation de la République arabe sahraouie démocratique (RASD). Mais il a mis en ½uvre ces dernières années une intense activité diplomatique à destination de pays d'Afrique subsaharienne.

Le Maroc et la Côte d'Ivoire --où s'est récemment rendu Mohammed VI-- ont ainsi des relations étroites.

Si le déplacement du souverain chérifien à Dakhla est qualifié de "privé" par plusieurs sources, il s'avère néanmoins symbolique alors que le Maroc s'est fortement mobilisé autour du vote du 23 avril sur la reconduction du mandat de la Minurso.

L'an dernier, Rabat avait vigoureusement protesté --avec succès-- contre un projet de résolution américain visant à élargir ce mandat à la surveillance des droits de l'Homme.

Preuve que le royaume ne relâche pas la pression, après avoir appelé samedi dernier Ban Ki-moon pour le mettre en garde contre des "options périlleuses", Mohammed VI a transmis vendredi un nouveau message au secrétaire général de l'ONU.

"Nous nous opposerons avec force et détermination à toute tentative d'instrumentalisation de la question des droits de l'Homme", a-t-il notamment prévenu.

Vaste territoire de moins d'un million d'habitants, le Sahara occidental est majoritairement contrôlé par le Maroc depuis le départ du colonisateur espagnol, dans les années 1970.

Rabat propose un plan d'autonomie sous sa souveraineté, mais celui-ci est rejeté par les indépendantistes du Polisario, soutenus par Alger.


La Minurso est chargée de surveiller le cessez-le-feu depuis 1991.

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