25 avril 2015

4月18、19日 40年後に受け取った手紙 lettre venue de mon ami défunt, écrite il y a 40 ans et reçue aujourd'hui

Le samedi 18 avril 2015
7時半、快晴。

Iさん邸近くの「哲学の道」を散歩。ソメイヨシノは終わっていたが八重桜が満開。

午後3時半、遊行寺(ゆぎょうじ)に立ち寄ってから藤沢の待ち合わせ場所に。遊行寺に行ったのはI氏のfacebookの記事にしばしば登場してくるからである。
小田原からK氏が退院祝いに来てくれた。ありがたい。
K氏を交えてIさん夫妻と居酒屋で大いに飲んでから帰宅。

Le dimanche 19 avril 2015
7時半、晴れ。

中央林間までIさん夫妻に車で送ってもらった。
11時、高校時代からの友人TS君の夫人NさんとT君の墓に行った。彼は一昨年秋に他界した。そのとき僕は青春を失った。彼は僕の青春そのものだったのである。

田園調布本町にあるTS君の家でお茶をいただいた。奥さまから亡くなったT君の机の抽斗(ひきだし)から発見されたという僕宛ての手紙を3通いただいた。
一通は僕たちが21歳の時に書かれた手紙(1966年)、
二通目は27歳のとき、僕が会社を辞めてパリにいたころの手紙(197212月末)、
最後の一通は1997年、僕がスペインのカナリアにいた時にしたためられた手紙である。
いずれも当時僕は受け取っていない
理由はわからないが出状されなかった手紙だ。
高校2年生のときの僕たちは『チボー家の人々Les Thibault』の「灰色のノートLe Cahier gris」にあるジャックとダニエルさながらの友情を交わした仲だった。その密な交流は、特に僕がパリに出てしまうまで続いた。

僕のパリ出発は19727月のことだったが、TS君にとって衝撃的な事件だったようだ。しかし、如何にも僕らしい選択だったと197212月末の手紙に書いている。しかも、その選択をした僕は、その10年前、僕たちの友情が生まれた一六七才当時の僕を思わせるというのだ。僕は仙台の高校に624月に転校してTSに遭遇したのである。運命の出会いであった。


72年の手紙では伊藤整の詩『林檎園の月』および自伝『若い詩人の肖像』がリファーされていた。僕は伊藤整もその作品も知らない。本屋で探したがない。早速、Amazonで注文した。
伊藤 整

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