12 décembre 2016

12月12日 ムソシの子どもたちにご支援を vos soutiens pour les enfants de Musoshi, s'il vous plaît

Le lundi 12 décembre 20167時、快晴。
5時半、晴れ、24℃、67.5%。

今日は記事の引用を致しません。
124日(日)に集まったムソシの子どもたちの食堂のことで皆さまにお願いがあるからです。

ムソシの子どもたちはもう33歳から40歳を過ぎた中年、でも「子どもたち」には違いありません。ムソシはルブンバシから南に100㎞、ザンビア国境にある村です。カスンバレサはムソシと隣接しています。そこに日本企業が開発する銅鉱山がありました。日本人居住区もあって、600名以上の日本人が鉱山で働いていたのです。1983年までのことです。鉱山のこととて、看護師さんなどを除いて、全て男性でした。ことの成り行きとして自然だと思うのですが、村の娘さんたちと子どもができました。50人以上。子どもたちは、ハーフ(混血児童)に極めて偏見の強いコンゴで、父親たちが帰国してしまってから赤貧の中を育ちました。子どもたちは50人が生存。しかし、今や孫たち、クウォータが200人以上います。中には母親(ハーフ)の結婚のお蔭で恵まれた家庭環境の孫たちもいます。しかし、大部分は極貧生活を強いられています。世界最貧国のコンゴだから貧しいのは当たり前ともいえますが、その貧しさの中でも更に貧しい生活だという現状があります。部族主義が激しく、「お前はどこの出身だ」と聞かれて、ルバLubaでもなく、コンゴKongoでもなく、顔や肌の色から、250もある部族のどこにも属さないハーフだとわかると就職口もなかなかないのです。
12月4日の集会で「子どもたちの会」の
副会長に選ばれたカルベ君(横顔)
コンゴでは当時も今も、男性側が現金や物品を親に渡せば結婚が成立します。役所に届けるのは都会の人々だけ。子どもが産まれても、父親に認知を頼む知識も母親たちにはありませんでした。

僕も最初は帰国をした父親たちの無責任さを嘆きました。しかし、無責任だったひとだけではないことがわかってきています。養育費を送ったり、物品を送った父親も実は多いかったのです。しかし、コンゴの郵便制度が破壊され、連絡が途絶えてしまいました。子どもたちのことを心配している日本人の父親が今もいるに違いないと存じます。

子どもたちが集まって任意団体を作りました。相互扶助のためです。
僕はチーちゃんという子どもから自宅訪問を受けました。6年前のことです。いろいろと窮状を聞いてムソシに何度も足を運びました。そして彼らの生活を目の当たりにしてなんとかしたいと思うようになりました。ブログに何回も書いた通りです。
カルベ君の左隣がキミコさん、
一人置いて左がナナさん、また一人置いて
背中を見せているのがオカザキさん、右側の男性がサイトウ君
たまたま、仕事(社会事業)でキンシャサにいらっしたS氏が、ムソシの子どもたちの話をU大使やN参事官からお聴きになって、ご同情compassionされ、ポケットマネー、1万ドルをご寄付されました。この資金を元手に子どもたちが相談して、レストラン「HOPE」を経営しようということになったのです。

食堂の利益から、最も貧しい家庭にいる孫たちの教育費を捻出する計画でした。戴いた資金のうち3000ドルを敷金、5000ドルをテーブルやイス、食器類などの購入にあて、2000ドルを運転資金fond de roulementとして去年20158月に開店しました。

家賃は家主さんの厚意で、6か月後の契約上の値上げもなく400ドルに据え置かれています。去年は家賃を払って、一家庭10ドルという僅かな支援までしました。ところが、雨季に入り、客足が落ち、またずさんな経営が表に出て、今年5月には「日本カタンガ協会」から家賃400ドルを払う支援をせざるを得なくなりました。また、それまで運転資金から家賃を出していたことがわかり、経営刷新、組織改革を僕から迫りました。
左からサイトウ君(子どもたちの会の会長に今回選ばれた)、
キョウコさん、シャルロットさん(日本名もある)、オカザキさん
サッカーに好きの国民なので、大画面のフラットTVも、僕の亡くなった親友の奥さまから頂いたお金の2/3、大枚1000ドルで買い、集客を試みました。また、ミチョポというヤギ肉バーベキューの道具やヤギ2頭も買いました。僕が300ドルを負担しました。いずれも今年6月のことです。

でも、経営はなかなか向上せず、ついに、大家さんもしびれをきらして、11月の家賃を1220日までに支払えなければ、1月で賃貸契約を切ると通知をしてきました。敷金は3か月分既に使ってしまっています。

現在経営はケイコさん、ユキさんからカルベ君に代わりました。かれは、カスンバレサで看護師をしています。看護師資格を持っているのですが、上記の理由で仕事がなく、いま、レストランに張り付いて接客、会計など全てを無給でしています。経営診断もしました。その努力から、すこしづつ売り上げが回復し始めたところです。

子どもたちの会が窮状を会の仲間に訴え、分担金を出すことが決まりました。ケイコさんやキョウコさんのところは最も豊かな家庭なので、余裕があるものの、分担金は10ドル、20ドル。乾物屋の手伝いをしているサイトウ君が5ドル。鉱山会社に就職しているダイモン君が給与80ドルの中から20ドル、アメリカやカナダに移住した子どもたちにもメイルで支援を仰いでいます。20日までにどれだけ集められるか未知数です。
「自助努力をしなさい」といっている僕も、「協会」が活動資金を捻出するためのタクシーが3台とも故障続きで6月から全く収入がない状態です。ときどきアルバイトをさせてもらって糊塗を凌いでいる始末ですので、情けないことに子どもたちへの資金援助ができません。
日曜日の会合に出られない人も多いのです。
交通費がない、子どもたちを置いて外出できない、
仕事で手が離せいない等々の理由で)
みんな日本人の名前を持っています
放漫経営を見過ごしてきたお前が悪いのだから、お前が面倒見ろ、とおっしゃる声も身に沁みますが、飲み物(各種ビールや清涼飲料水)のストックはほぼゼロだったのが、カルベ君の努力でストックが出来てきました。朝7時から21時まで働いています。あとは食材のストック形成ができれば、経営が軌道にのせられると思われます。

料理担当の子どもたちに日本料理、トンカツ、焼き鳥など材料がコンゴでも手に入るものを選んで僕が目の前で作って教えもしました。店のスペシャリティが必要だと思ったからです。

そこで、Facebookやブログの読者の方々に年末のあわただしい時期に迷惑千万とは重々承知しておりますが、子どもたちの食堂経営に一助をお願いする次第です。家賃は、子どもたちの分担金で400ドルのうち100ドルくらい集まるかもしれません。家賃を納めて、次の経営、運転資金の充実を図りたいのです。

食堂プロジェクトは子どもたちの団結、協働、アビリティーを示す試金石です。諦める訳にはいきません。子どもたちは半分日本人とはいえ、教育も環境もコンゴです。時間厳守が出来ないなどコンゴの性格を濃く持っています。けれども、半分日本人であることに強い誇りを持っています。日本人としての埃で、周りの偏見に抵抗して来ました。その子どもたちを支援してあげたいのです。

「協会」の口座はコンゴ第3の銀行にありましたが銀行が倒産したようです。口座に殆ど預金がありませんでしたので、被害は殆どありません。現在トップの銀行RAWBankに口座を開設しようとしています。しかし、日本からの海外送金は手数料が非常に高いので、僕の個人口座に振り込みをお願いいたします。ネットでコンゴでも入金が確認できます。
三井住友銀行成城支店 支店番号222
口座番号: 1368734 残高別普通預金

20日までにご寄付いただいたお金をカルベ君に渡します。
以上のお願いは、カルベ君にも、どの子どもたちにもしていません。あくまで自助努力が建前です。資金を渡した後には、僕が毎週厳しく使い道を管理することにいたします。


ここまでお読みいただいた方々に御礼申しあげます。ご寄付が無理でも、アドバイスがいただければ幸甚です。よろしくお願い申します。

田邊 拝
日本カタンガ協会名誉会長
在ルブンバシ

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